东京大学美术作品展 | 広報誌「淡青」38号より

学内にある主な作品を3人の研究者が座谈解説

叁浦 篤 Atsushi Miura総合文化研究科教授。西洋近代美术史、日仏美术交流史。驹场博物馆馆长。着书に『近代芸术家の表象』『まなざしのレッスン』(东京大学出版会)、『名画に隠された「二重の谜」』(小学馆)、『エドゥアール?マネ』(角川选书)ほか。

加治屋健司 Kenji Kajiya
総合文化研究科准教授。表象文化論、現代美術史。共編著にFrom Postwar to Postmodern(MoMA)、『中原祐介美術批評選集』(現代企画室+BankART出版)、共著に『地域アート』(堀之内出版)ほか。

髙岸 輝 Akira Takagishi
人文社会系研究科准教授。日本美术史、中世絵画史。着书に『室町王権と絵画』(京都大学学术出版会)、『室町絵巻の魔力』(吉川弘文馆)。编着に『日本美术史』(美术出版社)、『天皇の美术史』(吉川弘文馆)ほか。
东京大学美术作品展
安田讲堂壁画、デュシャン作品、国宝絵画からブリーフまで!
学内のあちこちにある美術作品の中から、目に見える形を持つ主なものを選び、美術研究を生業とする3人の先生に座談会形式で解説してもらいました。 それなりに見えてはいたもの、輪郭しか見えていなかったもの、全然見えていなかったもの……。トークを読みながら作品を眺め直すことで、大学が他にはない美術館になるでしょう。

Collection 01 イタリアの有望株による手坚い石膏像

ヴィンチェンツォ?ラグーザ
侯ケレル女史像
1878年 工学系研究科

ヴィンチェンツォ?ラグーザ
侯ケレル女史像
1878年 工学系研究科
Collection 02 日本では珍しかった上半身レリーフ

ヴィンチェンツォ?ラグーザ
半身浮彫八角额
制作年不明 工学系研究科

ヴィンチェンツォ?ラグーザ
半身浮彫八角额
制作年不明 工学系研究科
Collection 03 もとのモデルは奴隷戦争の指导者

大熊氏广
破牢
1882年 工学系研究科

大熊氏广
破牢
1882年 工学系研究科
明治期の西洋美术教育の成果

叁浦 篤 Atsushi Miura
- 叁浦 工部美术学校が招いたお雇い外国人のうち、彫刻を担当したのがラグーザです。当时の彫刻教育は模刻が中心で、モデルをきちんと写し取ることが重要でした。01や02は、西洋人をモデルにラグーザが制作した像を学生の手本として使ったもので、杰作というほどではないですが、手坚く仕上げた感じがします。
- 髙岸 胸から上を表现する半身の肖像彫刻は、それまでの日本ではあまりない形式のものですね。
- ―― あの、ラグーザさんというのは一流の彫刻家だったんですか?
- 叁浦 お雇い外国人教师の选出にあたりイタリアでコンクールを実施しています。そこで首席を取ったのがラグーザで、当然优秀だったと思います。来日时35歳で、若手の有望株だったでしょう。
- 加治屋 ミラノで开かれた全イタリア美术展で最高赏を受赏した记録があり、実力があったのは确かです。
- 叁浦 ラグーザの弟子の中で最優秀だったのが、大熊氏广。03はなかなかいい作品ですね。
- 加治屋 これは卒业制作で、19世纪イタリアで活跃した彫刻家ヴィンツェンツォ?ヴェーラの《スパルタクス》を模刻しています。大熊はその后彫刻学科の助手を务めました。スパルタクスは古代ローマの剣闘士で、奴隷戦争の指导者です。右手に短剣、右足首には足枷が见えますね。
- 叁浦 工部美术学校を首席で卒业后、大熊はローマに留学し、帰国后に靖国神社の大村益次郎像を制作。日本初の西洋式铜像だとされています。
- 加治屋 大熊は东大医学部の田口和美教授のもとで解剖学を学んだそうです。
- 叁浦 この见事な动感表现はそのおかげかもしれませんね
Collection 04 胸の饰りと髪の量感から技术が伝わる

小栗令裕
欧州妇人アリアンヌ半身
1879年 工学系研究科

小栗令裕
欧州妇人アリアンヌ半身
1879年 工学系研究科
- 加治屋 続いて小栗令裕ですが、04は美术大学の受験でよく使われる石膏像のアリアスに似ていますね。
- 髙岸 ただ、アリアス像はもっとシンプルで、胸の装饰はありません。ちぢれた髪の量感、彫り込みの鋭さが印象的で、技术の高さを见せつけている感じです。
- 叁浦 作品としては少し过剰かも&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。
- 髙岸 工部美术学校の彫刻学科が技术を重视していたことの表れかもしれません。
- 叁浦 05はデッサンが非常に緻密です。曽山幸彦は工部美术学校で主にサン?ジョバンニに师事しました。デッサンを重视した师匠の指导の赐物でしょう。
- 高岸 写真的な感じがしますね。袴のハイライトの部分などには金属的な光沢があります。
- 加治屋 実物は181肠尘&迟颈尘别蝉;123肠尘というから、かなり大きい絵です。
- 髙岸 それを凝缩して见るのでより写真っぽく感じるのか。
- 叁浦 工部美术学校は写実性を重视していたと思われます。
- 高岸 私は、作者の関心は身体より衣や刀にあったように感じます。肩から胸の筋肉の表现は西洋的ですか?
- 叁浦 胸の厚みが乏しく少し骨张った感じは日本的ですね。
- 加治屋 弓を引くポーズはブールデルの《弓をひくヘラクレス》(1909年)を想起させます。曽山のほうが早いのですね。
- 髙岸 西洋的な特徴と日本的な特徴がミックスされた和洋折衷感を覚えます。
Collection 05 緻密なデッサンは师匠の指导の赐物

曽山幸彦
弓术之図
1881年 工学系研究科

曽山幸彦
弓术之図
1881年 工学系研究科
Collection 06 リアルに描きすぎて本発注に至らず

土佐光信
叁条西実隆像纸形
1501年 史料編纂所

土佐光信
叁条西実隆像纸形
1501年 史料編纂所
歴史を伝える史料编纂所の絵

加治屋健司 Kenji Kajiya
- 髙岸 06は、左下に「辛酉十四」と記され、辛酉にあたる1501年の10月4 日に描かれたとわかります。紙形とは肖像画の下絵ですね。実隆は室町時代最高の学者。60年に及ぶ日記『実隆公記』を残しており、そこにこの絵の経緯も書いています。彼は、絵師の土佐光信を邸に呼び北野天神の縁起絵巻をつくる計画の相談をした際、肖像画を描かないか、と持ちかけます。それに応じて光信がその場で描いた下絵がこれでした。本来はここから肖像画制作に入る。しかし日記には「十分に似ず。比興」とあります。「比興」は「おもしろい」「興ざめ」と両方の意にとれますが、おそらくこの場合は後者です。
- 叁浦 まあ、もっとかっこよく描いてほしかったんですね。
- 髙岸 结局、光信は纸形を置いて帰った。それを実隆は読んでいた本に挟みました。そのまま本が残り、页の间から偶然発见されたものを史料编纂所が购入したというわけです。1501年というとレオナルド?ダ?ヴィンチと同时代。この顷に日本でもルネサンスに近いスケッチがあったことを示唆する絵です。ちなみに、光信の真笔を所蔵する大学は世界で东大とハーバード大学だけです。
- ―― 地味な絵だと思っていました&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。
- 叁浦 完成品は残っても下絵は残らないもの。贵重です。
- 髙岸 岛津家文书は史料编纂所が一括して岛津家から购入し、2002年に国宝指定されました。07はその中の、萨摩の名所絵シリーズ。19世纪には、絵师が现地に行って絵を描くことが広まっていて、この絵もその类だと思います。岛津家の统治エリアを记録するとともに、风景を美化して賛美する意図もあったでしょう。
- 叁浦 芸术的というより地誌的な印象がありますね
- 髙岸 08は、1854年に新発田藩の元藩主沟口直谅が江戸藩邸の池に咲いた莲の花を写生したもの。江戸时代、各地に絵の好きな大名が现れました。オランダから百科図鑑が入って博物趣味が広がり、大名自身が笔をとるケースも多かったようです。ただこの絵は西洋っぽくはなく、笔遣いは伝统的です。幕末には西洋的な表现が当然になって、図鑑的なリアルさではない絵画表现に戻っていたのかと思います。
- 叁浦 莲の花には仏教的な感覚もこめられているでしょうか。
Collection 07 岛津家の统治エリアを美化して记録

国宝島津家文書 薩藩勝景百図
1815年 史料編纂所

国宝島津家文書 薩藩勝景百図
1815年 史料編纂所
Collection 08 江戸时代に现れたアーティスト大名たち

溝口直諒 牡丹蓮図説
1854年 史料編纂所

溝口直諒 牡丹蓮図説
1854年 史料編纂所
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作品が示す数理とアートの縁
Collection 09 アーティスト心をくすぐる几何学模型

杉本博司 数学的形体:曲面0003
2004年 数理科学研究科
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

杉本博司 数学的形体:曲面0003
2004年 数理科学研究科
©Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
- 加治屋 数理科学研究科は19世纪末から20世纪初头にかけてドイツで作られた石膏の几何学模型を所蔵しています。数学上の曲面を可视化したもので、东大のコレクションはゲッティンゲン大学のものなどとともに最も充実したものの一つだそうです。写真家の杉本博司さんは博物馆のジオラマや蜡人形など、模型を白黒で撮る作品を展开していて、09もその一つ。実际の模型は小さいですが、作品で见ると壮大に感じます。エルンストやマン?レイ、ガボやペヴスナーなど、几何学模型に兴味を持つアーティストは少なくないです。
- 叁浦 阴翳が强く、非常に立体感が强调されていますね。
- 加治屋 ヤマダ精机という会社が数理科学研究科と共同で现代の技术で再现した几何学模型が、数理科学研究科や、杉本さんがデザインした表参道の商业施设のエントランス空间に展示されています。数式が美しい形を持っていて芸术家の関心を惹くのはよくわかります。
- 叁浦 杉本作品からはデュシャンの概念芸术に通じるものを感じます。
- 加治屋 10の「うつろひ」というコンセプトは1978年のパリの展覧会にさかのぼります。当初はワイヤーではなく真鍮の板を使っていました。宫脇さんの代表作で、群马県立近代美术馆なども所蔵しています。空に线を描きたかった、とご本人は语っていました。
- 叁浦 直线的で硬质な建物の中庭にやわらかな曲线の作品があることで、见た人はほっとする感じがすると思います。
- 髙岸 学内にある现代アート作品としては最大级ですよね。
- 叁浦 屋外にある作品はメンテナンスが心配ですが。
- 加治屋 少しさびてきたので、対応を検讨しているようです。
- 叁浦 美术作品の保全は东大全体の课题ですね。
Collection 10 アーティストは空间にも线を表现する

宮脇愛子 うつろひ
1995年 数理科学研究科

宮脇愛子 うつろひ
1995年 数理科学研究科
Collection 11 脱色された赤が円运动に与える有机的质感

平川滋子 五つの赤い宇宙
1999年 数理科学研究科

平川滋子 五つの赤い宇宙
1999年 数理科学研究科
美术を揺るがす作家の代表作
- 叁浦 12はデュシャンの代表作です。フィラデルフィア美术馆にあるオリジナルから3つのレプリカが生じましたが、これは3つ目の「东京バージョン」です。美术评论家の瀧口修造さんが発案し、东大と多摩美术大学が共同で制作しました。瀧口さんがデュシャンの生前にレプリカ制作の约束をしていたので、夫人が许可を出した、と伝えられています。
- ―― どう见ればよいのかさっぱりわかりません。
- 叁浦 解釈は见る者に委ねられています。本人が构想メモを残しましたが、作品と完全には一致しません。
- 加治屋 一般に了解されているのは、下半分が独身者の领域を、上半分が花嫁の领域を表すということです。独身者の欲望が上の花嫁へと向かうが、成就されないで终わってしまう、と。
- 叁浦 性爱の不毛が主なテーマだ、とはいえますね。
- 加治屋 下部左の雄の鋳型で表された独身者の欲望は叁角锥の滤过器を通って落下し、右の検眼表から上昇して上部に射撃の跡を残します。「毛细管」「射撃の跡」「换気弁」に偶然性が用いられています。
- 叁浦 オリジナルには大きなひびがあります。运送途中に偶然入ったものですが、デュシャンはこれで作品が完成したと喜んだそうです。作者の意図をミニマムにして偶然的な要素を入れたい、という意図でした。
- ―― &丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;やはり难しい作品ですね。
Collection 12 下半分には独身者が上半分には花嫁が描かれる

マルセル?デュシャン
花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも(大ガラス)
1980年 駒場博物館

マルセル?デュシャン
花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも(大ガラス)
1980年 駒場博物館

1.花嫁/雌の縊死体
2.银河/高所の掲示
3.换気弁
4.9つの射撃の跡
5.花嫁の衣装/水平线
6.独身者たち/9つの雄の鋳型/制服と仕着せの墓場 a 僧侶 b デパートの配達人 c 憲兵 d 胸甲騎兵 e 警官 f 葬儀人夫 g カフェのドアボーイ h 従僕 i 駅長
7.水车のある滑沟
8.毛细管
9.漏斗
10.はさみ
11.チョコレート磨砕器
12.トボガン(未完成の要素)
13.眼科医の証人/検眼表/マンダラ
西洋画を消化した日本画の妙

髙岸 輝 Akira Takagishi
- 叁浦 13は强调したい作品です。旧制一高は明治20年代に、歴史伦理教育の教材として近代日本画を30点ほど购入しましたが、その一つがこの絵です。フェノロサや冈仓天心の教えに従い、西洋の影响を取り入れた新しい日本画を创始し、东京美术学校の初代教授として横山大観、菱田春草らを指导したのが桥本雅邦。この絵では、奥行きのある空间表现、明暗法、事物の写実性など、近代日本画再生のために西洋絵画の刺激を入れようとしたフェノロサらの方针が窥えます。石桥财団のご支援を受けて、2018年、近代日本画コレクション全体の修復が终わりました。
- 髙岸 画题は歌人?西行の有名な句「心なき身にもあはれはしられけり鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮」です。鴫たつ沢は现在の湘南エリア。鎌仓时代の「西行物语絵巻」を西洋画风に落とし込んだ作品です。
- ―― この人は颜がかなり小さいですよね。
- 髙岸 西洋风ですね。空気远近法的な靄のかかり方もそう。一方、右手前に人物がいて、左に水面があって空间が左奥に抜けるのは、日本の屏风や絵巻によくある构図。うまい构成です。
- 叁浦 これだけ大きい人物も特徴的。过去の日本画だったらもっと小さく描かれたはず。
- 髙岸 画面に対して人物を大きく描くことで远近感が强调されている。西洋の歴史画に出てくるような描き方です。
- 叁浦 日本画と西洋画の絶妙なブレンドが光りますね。
- 加治屋 日高理恵子さんは日本画出身で、14も纸に岩絵具で描いた絵です。树を见上げたときの包まれたかのような感覚を描いており、隣の矢内原公园の木々と照応しています。
- 叁浦 図书馆という本の森のなかに自然を持ち込んだ感じがしますね。
Collection 13 日本画と西洋画の絶妙なブレンド

橋本雅邦 西行法師之図
1892年(受入年) 駒場博物館

橋本雅邦 西行法師之図
1892年(受入年) 駒場博物館
Collection 14 见上げて描くことで画面全体が树に

日高理恵子 樹の空間からV
1998年 駒場図書館

日高理恵子 樹の空間からV
1998年 駒場図書館
実は魅力的な大壁画が驹场に
- 叁浦 続いて、15は驹场を代表する巨大壁画。今関さんは旧制一高を中退して画家となった人です。渡欧から帰国し、1969年に驹场図书馆に饰るために描いたのがこの絵。19世纪フランスのアカデミスムの群像构図に近く、古典的な歴史画を思わせます。ピラミッド型の人物配置を全体にも部分にも适用し、大人数なのに整然と见せた。违和感があるのはブリーフとレオタードですね。西洋なら裸体で描くところです。大学に置くので裸は避け、体育という健康的なイメージで表したのでしょう。
- 加治屋 白马に乗った人もいて、幻想的です。アナクロな味わいが逆に面白いですね。
- ―― DA PUMP「U. S. A.」のダサかっこよさを連想しました。
- 加治屋 そうですか(笑)。
- 叁浦 実は、この絵を入学当时に见て「ついていけない」と感じたのを覚えています。青春を极端に理想化した姿だな、と。
- 加治屋 1969年というと学生运动が盛んだった时代ですよね。中央の片膝の人物は何か読み上げ、それに対して左の人物が宣誓しているように见えます。
- 叁浦 今関さんは故人なので実际の意図を闻けないのが残念です。
Collection 15 白ブリーフのダサかっこいい味わい

今関一马
青春
1969年 駒場ファカルティハウス

今関一马
青春
1969年 駒場ファカルティハウス
Collection 16 大学における入学と卒业を表现

小杉未醒
涌泉、採果
1925年 安田講堂

小杉未醒
涌泉、採果
1925年 安田講堂
歴史ある大学にいい壁画あり
- 叁浦 16は东大を代表する壁画。歴史のある大学にはいい壁画があるもので、たとえばソルボンヌ大学にはピュビス?ド?シャバンヌの壁画《芸术と学问の圣なる森》があります。小杉はパリに行きましたし、シャバンヌを格调高い画家と评価していました。意识したのは间违いない。《涌泉》は入学、《採果》は卒业を意味すると思います。学问に触れて知の泉が涌き、いろいろ学んで最后に果実を収穫する。人物を自然の中に配置する构図で、大学にふさわしい主题を考えたと思います。変形のキャンバスに描くのは难しいですがうまくまとめています。
- 加治屋 これも修復したんですよね。
- 叁浦 20世纪中は注目されなかった壁画ですが、ようやく関心を呼ぶようになり、修復された。今后も大事にしたいですね。
- 髙岸 18は铜版の上に油彩で描かれたという珍しい作品。ザビエルらの宣教师が来日し、布教に使う圣画像を描かせるために、日本の10代の若者を絵师として养成しましたが、その一人が丹羽です。初めて西洋の阴翳表现や立体表现を学んだはずですが、见事に技术を吸収しています。
- 叁浦 イエス?キリストの肖像ですが、当时の日本の青年がここまで描けるというのは惊きです。
- 髙岸 结局、江戸幕府によるキリシタン追放でこうした技术も途絶えます。数十年だけ日本にこういう絵画术が存在したわけです。手本とした西洋の版画よりも表情が优しいといわれています。
Collection 17 访れた人を迎える半円形の一対


小杉未醒
动意、静意
1925年 安田講堂


小杉未醒
动意、静意
1925年 安田講堂
Collection 18 昔の日本の10代が描いた优しいイエス

ヤコブ丹羽(丹羽ジャコベ)
救世主像
制作年不明 総合図書館

ヤコブ丹羽(丹羽ジャコベ)
救世主像
制作年不明 総合図書館
Collection 19 富田渓仙の絵とコラボした仏语の诗画集

ポール?クローデル
雉桥集
1926年 人文社会系研究科

ポール?クローデル
雉桥集
1926年 人文社会系研究科
Collection 20 初期狩野派の主力商品だった水墨の扇

元久印
柳に鵯図扇面
室町時代 人文社会系研究科

元久印
柳に鵯図扇面
室町時代 人文社会系研究科
Collection 21 国文学研究室にあることが歴史を物语る

住吉如庆?具庆
竹取物語絵巻 かぐや姫の昇天
1649年 人文社会系研究科

住吉如庆?具庆
竹取物語絵巻 かぐや姫の昇天
1649年 人文社会系研究科
文学部が受け継ぐお宝絵たち
- 髙岸 19は仏文学研究室の所蔵です。
- 叁浦 20世纪フランスの诗人?剧作家であるポール?クローデルが东京で编纂し、画家の富田渓仙が絵をつけた诗画集ですね。クローデルはフランス大使として日本に赴任したこともあり、日本の文化に详しかった。俳句にも兴味を持ち、俳句を取り入れたフランス语诗を残しました。これは全部で240部印刷されたものの一部ですが、クローデル自笔の文字が渓仙の笔と一体となって一つの世界を创り出しています。
- 髙岸 20の印にある元久という絵师は、おそらく狩野元信の弟子か亲族です。16世纪前半から半ば、狩野派は大きな工房でこの手の扇を大量生产し、印を押して狩野ブランドとして売っていました。これはその一つで、もとは屏风に贴ってあったものです。水墨画としてよく描けていて、柳のやわらかさ、鸟の羽のふわふわした质感がよく出ています。21の作者は住吉如庆?具庆。住吉派は土佐派の弟子筋にあたり、将軍家に仕えた正統の絵描きです。江戸時代の絵巻というのは、20~30年前まで美術コレクターが評価しておらず、主に国文学の研究者が資料として買っていました。これも入手した頃はそれほど価値が認められていなかったでしょう。それが、ここ10年ほどで再評価が進みました。美術史でなく国文学研究室にあることが歴史を物語ります。
- 加治屋 22は1977年に东大创立100周年を记念して刊行された版画集。70年代の本郷や驹场の様子を伝える作品が10点収められています。
- 叁浦 叁浦巌は文学部東洋史学科の出身です。パリのサロンで1970年に《薬師寺の塔》で銀賞を、1971年に《パリ風景》で金賞を受賞。日仏で活躍した水彩画家です。
- 髙岸 学内に高层建筑群が建つ前の风景。东大纷争后の平和を取り戻した时代の空気が漂います。
- 叁浦 建物だけでなく、必ず緑を入れてやわらかく仕上げた嫌みのない絵です。
- 髙岸 名所絵叶书的ですが、好感を持って见られますね。
- 叁浦 23?24の高岛は、农学部水产学科を首席で卒业し、银时计をもらえるはずだったが断ったという逸话が残ります。孤高の画家人生を歩み、画坛とは无縁でしたが、最近再评価が进んでいます。蜡烛を描いたものが有名ですが、非常に写実的かつ神秘的で、精神性を感じさせる画风です。根底には仏教の慈悲の思想があったようです。自然を描いて宗教性を感じさせる画家は多くないと思います。この絵も见ていて引き込まれます。
- ―― ご本人が医科学研究所附属病院に入院したことがあり、そのご縁で寄赠されたそうです。
- 叁浦 素晴らしいものをいただきましたね。
Collection 22 高层建筑以前の构内风景が郷愁をそそる






叁浦巌 東大石版画集 1977年 本部棟
Collection 23 写実的かつ神秘的な画风に引き込まれる

高島野十郎 満月
1963年 医科学研究所

高島野十郎 満月
1963年 医科学研究所
Collection 24 入院のご縁で寄赠されたゆかりの作品

高島野十郎 林辺太陽
1967年頃 医科学研究所

高島野十郎 林辺太陽
1967年頃 医科学研究所
东大ゆかりの作品を次代にも
- ―― さて、これまで见てきていかがでしたか。
- 叁浦 东大ゆかりの人の作品が思った以上にありますね。ご縁ありきで入ってくるゆかりの品を今后も大事にしたいと思いました。
- 加治屋 教育?研究目的で入ったものも少なくないですね。今もどのくらい受け入れているのか気になりました。他大ではもっと充実したコレクションを持つところもありますが。
- 髙岸 プリンストン、ハーバード、イェール大学などは大规模な美术馆といえるレベルです。年代的にも体系的にも欠けているピースを集めるという戦略が昔からあったそうです。
- 叁浦 财政面でのサポーターも强大ですしね。
- 髙岸 東大にある作品の多くは、美的な関心から集めたわけではなくても、次々に再評価されてきています。そこに希望 がある。今は光が当たっていないが今後評価が高まるものがきっと他にもあるでしょう。木下直之先生が学内の造形物を次々と掘り起こしてくれたので、残る我々も引き継いで耕したい。
- 叁浦 普通、兴味はいま価値があるものに向きます。大学はそういう価値観ではないからいいのかもしれない。
- 髙岸 无欲で集めることのよさですね。でも无欲であるがゆえに作品が散逸したり伤んだりするのはいけません。
- 加治屋 そう考えると《きずな》を失ったのが改めて残念です。戦后日本美术を考える